人間の脳の成り立ちや機能に関する理解は、科学の進歩とともに深まってきました。その中で、ポール・D・マクリーンの仮説は、人間の脳の進化の過程を示すものとして広く認知されています。彼の仮説によれば、生物の進化とともに脳も発展してきたのです。
この進化の過程で、最も原始的な部分として「反射脳」(延髄、脳幹)が存在します。これは私たちの生命を維持する基本的な身体機能、例えば呼吸や心拍などを調節する部分で、自律神経の働きに大きく関与しています。続いて、「情動脳」(大脳辺縁系)は、私たちの感情や本能的な行動を制御する役割を果たしています。恐れや喜び、怒りや愛情などの感情は、この部分の活動と密接に関連しています。最後に、「理性脳」(大脳新皮質)は、人間が持つ高次の認知機能を担っています。論理的な思考、学習、言語機能などの高度な能力は、この部分がもたらすものです。
これら3つの異なる脳の領域がうまく連携し、バランス良く機能することで、私たちが日常の生活を円滑に送ることができます。しかし、このバランスが崩れると、不安、恐怖、怒り、欲求不満といった感情の問題が生じることがあります。このような状態になった場合、それぞれの脳の特性を理解し、適切なトレーニングやケアを行うことで、バランスを取り戻す手助けができると言われています。
人間の脳はその複雑さから、未だに完全に解明されていない部分が多く存在します。しかし、マクリーンの仮説は、その深奥なる脳の構造や役割を理解する手がかりとして、多くの研究者や一般の人々によって広く受け入れられています。これを基に、私たちは自分自身の感情や行動の背後にある脳の働きをより深く理解することが期待されます。
理性脳と情動脳
健康な人の脳は、理性的な判断を担当する「理性脳(大脳新皮質)」と、我々の感情や本能を司る「情動脳(大脳辺縁系、脳幹)」との間でバランスが取れています。このバランスのおかげで、日常生活において感情の起伏を適切に制御し、冷静な判断を下すことができるのです。
しかし、トラウマを経験した人々の中には、その傷が過去の出来事として完全に捉えられず、日常の中で常にその影を感じる者もいます。トラウマは、脳の特定の部位、例えば感情の中枢とされる扁桃体や、記憶を形成する海馬、そして我々の自己制御を司る前頭前野に直接影響を及ぼします。結果として、これらの部位の働きが乱れ、心身の様々な症状が生じるのです。
特に子どもの頃からトラウマを持ち続ける人々は、危険や脅威に対する警戒感が強化される傾向があります。彼らは、生存のために常に警戒することが必要な状況に身を置くと、理性よりも感情や本能が先行するようになります。この結果、実際に脅威が存在しない場面でも、体の防衛機制が過敏に反応し、筋肉は緊張し、神経は過度に刺激されます。そして、これらの反応は体を収縮させ、物理的・精神的な固定を引き起こします。その結果、些細な刺激にも過度に驚きやいら立ちを感じるようになり、日常生活が困難になることもあるのです。
トラウマが脳や身体、心に与える影響
過去の悲痛な経験は、人の心の奥深くに刻まれることが多く、特に被害を受けた経験がある人々は、感情や感覚を統括する情動脳の影響を強く受けやすくなります。これは、人の脳が危険を感知すると自然と身を守ろうとする生存本能から来るものです。この反応は、私たちが過去の経験から「危険だ」と感じる刺激に対して、体がすぐに攻撃的になったり、逃げ出したくなったりする「闘争・逃走反応」を引き起こします。そして、この反応が強烈すぎると、人は動けなくなったり、自分が何をしているのか把握できなくなることもあるのです。
慢性的なトラウマの影響は、さらに深刻です。情動脳が常に高まった状態であると、一つの小さな刺激にも過敏に反応してしまうため、日常生活が非常に困難になります。このような状況下での恒常的な警戒心は、人々を過度な疲労やストレスへと導くだけでなく、現実を直視することの苦しみから逃避したいという欲求も高まります。
加えて、情動脳の過敏さは、人が環境の変化や予期しない出来事に対して過度に反応することを引き起こします。音や人の存在感、さらには些細な出来事に対してもアラームが鳴り、冷静な判断が難しくなることも。このようなトラウマの深い影響は、脳の機能のバランスを崩し、日常生活での多くの局面で困難さを増していくのです。
生存を司る脳の発達
トラウマとは、私たちの心に深く刻まれる体験や出来事であり、その影響は人の心理や行動に大きな変化をもたらします。特に、悲痛な経験や危険を伴う出来事を経験した人は、自己を守るための生存戦略を磨くことで、生き抜く力を高めていきます。しかしその一方で、人間関係を築いたり、社会的な交流を深める能力が後退してしまうこともあるのです。
この生存戦略は、もしもの状況を予想し、それに備えることを最優先に考えるようになります。その結果、日常生活においても、自然災害や経済的な変動、治安の問題など、さまざまな外部からの脅威に対して過度に敏感になりがちです。細かなことから大きな出来事まで、何でも気にかけ、心配事が増える傾向に。これは、過去のトラウマから学んだ「危険から自分を守る」ための本能的な反応としての役割を果たしています。
このような生存戦略は、自己防衛の観点からは非常に合理的な反応であり、困難な状況や未知の危機に対処するための有効な手段となり得ます。しかし、常に警戒心を持ち続けることは、心身の健康や人間関係の構築において大きなストレスとなることも。そうした背景を理解し、適切なサポートや理解が必要となる場面も多いのです。
過剰な警戒心
虐待やDVのトラウマを背負う人々は、その痛みが心の深くに深く刻まれ、日常生活にもその影響が現れます。一見、些細な出来事でもその人にとっては大きな脅威となり、過去の痛みや恐怖が蘇ってきます。その結果、彼らは日常のあらゆる場面で、常に警戒の姿勢をとるようになります。まるで心の奥に設置された警報機が絶えず鳴り続けるような状態です。
周囲の何気ない風景や人々の動き、声にまで敏感になり、心は常に外部からの脅威を探している状態となります。このような過度な警戒心は、身体にも影響を及ぼします。筋肉は常に緊張し、身の回りの物事に対しての反応が早く、また極端になることがあります。
さらに、危険を感じると、即座に自己防衛の機構が働きます。攻撃的になったり、逃げ出したくなったり、あるいは完全に動けなくなる「凍りつき」状態となることも。これらは、過去の辛い経験から生まれた防衛反応が根底にあるのです。
虐待やDVを経験した人々は、そのトラウマを乗り越え、新たな人生を築くことが難しい場面が多々あります。日常生活の中で、心と身体は常に守ること、護ることを最優先に考えてしまう。そうした彼らの姿勢や反応は、彼らが過去にどれほど深い傷を負ったかを物語っているのです。
過覚醒
私たちの脳は、日常の中で数多くの刺激や情報を処理しています。特に、危険や脅威といった緊急の状況下での反応は、我々の生存本能と密接に関連しています。このとき、情動脳が主導権を握り、身体を警戒モードに切り替えます。交感神経が過剰に活性化することで、心拍数が上昇し、筋肉の緊張も高まるなど、体全体がアラート状態になります。
この過覚醒状態では、一時的に脳の前頭葉、特に実行機能が司る部位の活動が抑制されます。これにより、論理的な思考や計画的な行動が難しくなり、瞬時の直感的な判断に頼ることが増えます。この機構は、突如として現れる危険からすぐに身を守るための生体の仕組みである一方、長く続くと精神的・肉体的にも影響を及ぼします。
特に、過覚醒状態が持続すると、日常生活における細かい出来事や、通常ならば気に掛けないような状況に対しても、過度に反応してしまうことがあります。継続的な不安や恐怖によって、冷静な判断ができなくなり、衝動的な行動を取りがちになる。更に、持続的なストレスは、イライラや焦燥感を生じさせ、睡眠の質を低下させることも。
重要なのは、このような状態が持続することで、自らの感情や行動を冷静に評価する能力が低下するという点です。そのため、自分の行動や判断に疑問を持たず、つい極端な反応をしてしまうことが増えるのです。この現象を理解することは、トラウマや強いストレスを経験した人々をサポートする上で非常に重要です。
闘争・逃走反応
私たちの先祖は、様々な危険から生き延びるために「闘争・逃走反応」を進化の過程で身につけました。これは人間が直面する危機的な状況、例えば野生動物の襲撃や自然災害などに対応するための反応として発展してきました。これは、我々が持つ古代のDNAが、自らを守り、命を繋ぐために進化してきた結果と言えます。
この反応が働き始めると、私たちの体は驚異的な変化を遂げます。交感神経系が優位となり、アドレナリンなどのホルモンが放出されることで、体は瞬時に最適な状態へと変わります。心拍数が増加し、血液は筋肉へと供給され、我々は素早く強力な行動を取る準備が整います。この状態であれば、通常の状態では考えられないほどの身体能力を発揮することが可能となります。
しかし、この極度の緊張状態は永遠に続くわけではありません。危険が去ったあと、身体はその緊張から解放され、平常の状態へと戻るために努力します。副交感神経系が優越して働き始めることで、心拍数は落ち着き、筋肉の緊張も和らぎ、体は再び平穏な状態に戻ります。
この「闘争・逃走反応」は、私たちの生存本能の一部としての役割を果たし続けていますが、現代社会においても、日常的なストレスやプレッシャーの中でこの反応が働くことがあります。私たちの体は古代からのサバイバル本能を継承しており、現代の日常にも適応して、私たちを守ってくれているのです。
過剰な情報処理
「情動脳」とは、私たちの脳の中で情動や感情を司る領域で、人間の感じ取った感情や体験が処理される場所です。私たちが外部から得る様々な情報は、この情動脳を通じてフィルタリングされ、私たちの心にどのような影響を及ぼすかが決まります。
しかしながら、この情動脳のフィルタリング機能が十分に働かない時、我々は感覚過負荷という状態に陥ることがあります。この時、日常の些細な情報までもが頭の中で鮮明に映し出され、一つ一つの情報が過剰に処理されてしまいます。まるで、情報の大洪水に飲み込まれてしまうような感覚です。頭の中で情報が渦巻き、その結果、集中することや冷静に物事を判断する能力が鈍ってしまいます。
特に現代の都市型生活や、情報が溢れる集団環境では、情報の取捨選択が不可欠です。しかし、このような環境下で情動脳が過度に情報を処理し続けると、脳は過労状態になります。これが、私たちが経験する疲労感やストレス、さらには判断ミスの原因となるのです。
そこで、情動脳を守るためには、日々の生活の中で意識的な休息や、情報を適切にフィルタリングする能力を養うことが求められます。瞑想や深呼吸、自然の中での散歩などを通じて、情動脳のリセットを図ることで、より健全な思考と心の安定を取り戻すことができるでしょう。このようなアプローチは、情報過多の現代社会で私たちが健康な心と体を維持するための鍵となります。
あらゆる刺激に敏感
私たちの体には、驚くほどの直感的な能力が備わっており、これによって危険や生命を脅かす状況を即座に感知することができます。私たちが突如として危険な状況に直面した際、脳は瞬時に周囲の情報、人の動きや声のトーン、微妙な表情の変化などを敏感にキャッチし、それを迅速に分析する能力を働かせます。これは、自らの安全を確保するための、根深く刻まれた「警戒反応」という本能の現れです。
過去にトラウマという深い心の傷を経験した人々は、この警戒反応が過敏になる傾向があります。そのため、日常の些細な出来事でさえ、不安や警戒心を抱えることが増え、感情が乱れやすく、思考が錯綜してしまうことが珍しくありません。さらに、私たち人間は社交的な生き物として、他者との関わりやコミュニケーションを深く重視します。トラウマを持つ人々は、「自分は他者からどう見られているのか」という意識が特に鋭敏になり、普段以上に周囲の視線や反応を気にするようになります。その結果、人前での自己表現や意見の発信に際して、極度の緊張や過度な自意識を感じることがあるのです。これは、過去の経験が現在の感受性や反応を左右していることの表れであり、私たちが彼らの心の背景を理解し、共感的なアプローチをすることが一層重要になってくると考えられます。
過敏さと鈍感さ
複雑なトラウマを経験した人々は、その後の日常生活においても、微細な刺激や普段ならば危険と認識しない状況においても、無意識のうちに警戒のアラームが鳴り響くことがしばしばあります。このような人々は、周囲の状況や人々の動き、音などに敏感に反応し、その結果、身体が過覚醒状態になり、凍りつくような感覚や恐怖、怒り、そして心の混乱に包まれることが起こることがあります。これは、トラウマの影響で脳の判断基準が変わってしまい、日常的な刺激にも過敏に反応してしまうためです。
しかし、逆に考えると、一般的な人々が危険と感じる明白な状況でも、トラウマを持つ人は、一見、驚異的に冷静で平然としていることがあるのです。これは、複雑なトラウマを経験したことで、他の人が感じる危険さを、彼らは感じずに、落ち着いて行動したり、問題を解決する姿勢を取ることがあります。また、脳が常時の警戒状態を維持するためのエネルギーを温存するため、危険を適切に感じ取る感覚が鈍くなってしまうことがあります。これらの現象は、トラウマの深刻な影響を示すものであり、その人の心の内部には、多くの感情や葛藤が渦巻いていることを物語っています。
注意・集中の問題
トラウマを持つ人々は、安定した環境の中では、驚くべき集中力を発揮することが特徴です。興味や関心を抱くことへの献身的な姿勢は、心の中で彼らの好奇心がとても強いことを示しています。この集中力は、他の多くの人々が持ち合わせていない能力とも言えるでしょう。特に、ストレスの影響を受けにくい安心感のある場所では、彼らの頭脳はそのフルポテンシャルを発揮します。
その反面、不安定な状況や環境に置かれると、トラウマの影響によって、脅威に対する過度な反応が引き起こされることがあります。その結果、深く考えることが難しくなると同時に、外部からの情報処理が難しくなります。都市生活のような情報が絶えず流れる環境では、彼らは情報の洪水に圧倒され、本来持っている集中力が散漫となり、同時に複数のタスクをこなすことが難しくなります。
これは、トラウマの経験が彼らの認知や感情の反応に影響を及ぼしていることを示唆しています。しかし、適切なサポートや理解のある環境で、これらの反応を管理することは可能です。トラウマを持つ人々が、自らの能力を最大限に発揮し、より豊かな人生を歩むための環境やサポートが必要とされています。
先読み癖
トラウマを経験した人々は、予期しない出来事や急な変化に遭遇すると、そのショックを受け止めることが困難になることがあります。彼らの心と体は、過去の傷つけられた経験に対する警戒反応が深く刻まれており、新たなストレスや刺激に対して過度な反応を示すことがしばしばです。
これを避けるため、トラウマを持つ人々は、自分を守るための独自の戦略を持つことが多いです。彼らは周囲の環境や人々の動きを敏感に察知し、事前に想定されるシナリオや反応を心の中で繰り返しシミュレーションします。これによって、様々な状況においても冷静に、そして適切に対応しようとするのです。
加えて、トラウマを持つ人々は、自らの行動や言葉が他人に与える影響に非常に敏感であり、しばしばそれを深く慮ることがあります。自分が経験した痛みや苦しみから、他者の気持ちや立場に対する共感や理解が深まることが多いのです。そのため、彼らは自分の行動や言葉によって他者を傷つけないよう努力することが多い。このような背景や深いテーマを理解することで、トラウマを経験した人々の感じること、考えることに対する共感や理解が深まるでしょう。
問題解決力
トラウマを持つ人々は、その傷が心の奥底に潜んでいるため、日常生活の中で不安や恐怖といった感情が表面化しやすくなります。特に突発的な出来事や予期しない状況が生じた際に、情動脳が過敏に反応し、体は不快な緊張感に捉えられます。この時、心の中は取り乱し、「どう対処したらいいのか」「何をすれば解決するのか」という焦燥感に駆られます。このような状況は、心が過度なストレスを受けているサインであり、この状態が続くと、冷静な判断や理性的な思考が困難になります。
人間関係の摩擦や誤解は、日常の中で避けられないことであり、こうした問題に直面した時、多くの人々は対話を通じて理解を深めようと努力します。適切なコミュニケーションをとりながら問題解決に励むことで、心の中のもやもやや不安が晴れ、解放感や安堵を感じることができます。これは、人との関わりを通じて、自らの感情を整理し、心のバランスを取り戻す過程を示しています。
しかしながら、問題解決のスキルや経験を豊富に持つ人であっても、全ての問題が解決するわけではありません。特に複雑な問題や、自身のコントロールが及ばない状況に直面したとき、彼らもまた、解決策が見当たらないという無力感に打ちのめされることがあるのです。このような時、心は混沌とし、継続的なストレスが蓄積されると、それがさらなる問題を生む可能性もあります。そのため、自らの感情や思考を理解し、適切なサポートを求めることが、健全な心の状態を保つ鍵となるでしょう。
過剰な同調性
トラウマを抱える人の心の中には、過去の痛みや恐怖が深く刻まれており、それを再び体験しないための防衛策が自動的に働くことがよくあります。彼らは、過去の経験から、人々との関係の中で受けた傷や痛みを避けるため、自分を守る方法を独自に学び取ってきました。
その一つの方法として、周囲の人々に受け入れられる姿を演じることが挙げられます。これは、外部からの評価や反応に依存することで、一時的な安心感や安定感を得るための戦略とも言えます。具体的には、他者の感情や気持ちを敏感にキャッチして、その感情に応じて行動する能力、つまり共感性が非常に高まります。また、相手の機微を捉え、その場の空気を読んで適切に反応することで、人間関係のトラブルを避けようとする傾向も強くなります。
一見、これらの能力は社会の中で高く評価されるものとなりますが、その背後には自らの感情や欲望、本音を犠牲にしてまで他者との調和を保とうとする過度な自己防衛が潜んでいます。結果として、自分の感情や欲求を正直に表現できなくなり、真の自分を見失ってしまう可能性が高まります。そして、常に他者との関係性の中での評価や反応を気にして生きることは、長期的には心の健康を蝕む要因となることが懸念されます。
心の中に潜むトラウマと向き合い、過去の痛みから逃れるための過度な自己防衛を乗り越え、真の自分を受け入れることが、真の癒しや平和を手に入れるための鍵となるでしょう。
解離・視野狭窄
恐怖や衝撃的な出来事を経験した際、私たちの心は、その過酷な状況から心身を守るために、独自の防衛メカニズムを発動させることがあります。このメカニズムの一つが解離という現象です。解離症状とは、極度のストレスやトラウマが原因で、自分の感覚、思考、感情、記憶などが一時的に切り離される状態を指します。
この症状は、極端な状況での心の防衛策として働くことがある。外の世界の出来事や、自分の内面の感情があまりにも圧倒的であるとき、心はそれを一時的に遠ざけることで、深い傷やトラウマから自己を守ろうとするのです。具体的な症状としては、過去のトラウマ体験に関する記憶を一時的に失ったり、現実との境界が曖昧になり、自分が現実から隔絶したような感覚に陥ったりすることが挙げられます。
さらに、解離症状を経験する人は、まるで自分が透明なカプセルやヴェールに包まれているかのように、自分と外部の世界が分断されていると感じることがあります。この結果、普段の意識や身体感覚がぼやけ、日常の出来事や自分の感情に鈍感になることがあります。
このような解離症状は、心の痛みやストレスから一時的に逃れるための心の仕組みであるが、長期的にはその原因となる問題や感情と向き合い、適切に処理することが、真の癒しと回復への道となります。
ストレスホルモン
複雑なトラウマを持つ人々は、その経験が体と心の反応のメカニズムに深く影響を及ぼしています。このトラウマを持つ人々は、日常の些細な変化やストレス源に非常に敏感になりがちです。この感受性の背後には、交感神経系の持続的な活性化があります。交感神経系は「闘争・逃走反応」を制御しており、危険や脅威を感じると活動します。
通常、人々はストレスの原因が消えると交感神経系の活動が落ち着き、副交感神経系が活動を増してリラックスします。しかし、複雑なトラウマを抱える人の場合、体内のコルチゾールというストレスホルモンのレベルが継続的に高く、そのバランスが崩れてしまいます。これにより、一度感じたストレスや恐怖が持続してしまい、感情のコントロールや平静を保つことが難しくなります。
さらに、この継続的な高いストレスホルモンの状態は、トラウマの影響が長期化するとさらに深刻な問題を引き起こします。コルチゾールが過度に分泌され続けると、最終的には副腎がその生産を続けることができなくなり、副腎疲労という状態になります。この状態は、深刻な疲れや無気力、食欲不振や慢性的な不安感など、日常生活において様々な支障を引き起こすことがあります。
このように、複雑なトラウマは単なる心の問題だけでなく、体の生理的な反応にも大きな影響を与えることが理解されています。トラウマと向き合うためには、心と体の双方のケアが不可欠であり、総合的なアプローチが求められます。
不快な状況が続くと
私たちの心は、日常の様々な出来事や状況に応じて、さまざまな感情を経験します。しかし、特に厳しいまたはトラウマ的な状況に直面したとき、私たちの心はその重圧に耐え切れず、通常の反応とは異なる極端な感情の高ぶりを示すことがあります。
例えば、私たちが何らかの不快な状況に直面し、その状況から逃れることができないと感じ、さらに問題の解決が見えない時、感情の乱れが始まることが多いです。継続的なストレスと感情の抑圧は、まるで圧力鍋のように心の中で圧力を高めていきます。そして、その圧力がある一点で耐えきれなくなると、感情が一気に爆発することがあります。
この感情の爆発は、怒りや攻撃性、悲しみや絶望、そして恐怖や痛みといった多くの感情が渦巻く状態となります。その結果、個人は自分の行動や感情を制御することが難しくなり、時には自分自身を認識できないほどの混乱状態に陥ることがあります。
このような極限状態は、人の心が持つ耐え難い痛みや経験に対する反応であり、これは深い傷や心の叫びを示しています。私たちが周囲の人々のこのような感情の爆発を目の当たりにしたとき、単に「感情が暴走している」と切り捨てるのではなく、その背後にある深い痛みや経験を理解し、共感の手を差し伸べることが求められます。
被害妄想・加害不安
組織の中での人間関係は、多様なバックグラウンドを持った人々が集まることから、複雑なものとなることが多いです。会社や学校といった共同体での日常の中で、避けられない対人関係の摩擦や誤解、価値観の違いが起こることは自然なこととも言えます。
しかし、特定の人物との関わりが苦痛となり、それが日常的に感じられるようになると、心理的に防衛機制が働くことがあります。この防衛機制は、自分を守るための本能的な反応であり、その結果として「自分が被害者である」という認識や、「加害者になるかもしれない」という不安が生まれやすくなります。
これらの感情は、人間が危機的な状況下でのサバイバルのための本能的な反応、すなわち「闘争・逃走反応」の一部として現れます。これが継続的に働くと、本来は積極的な対人関係を築くための能力を持っているはずの人も、トラブルを引き起こしやすくなったり、人間関係を長く維持できなくなる可能性が高まります。
このような状況に陥ったとき、大切なのは自分の感情や反応を正確に理解し、適切なサポートやアドバイスを求めることです。外部からの視点や専門家の意見は、自分の心の動きや組織内の人間関係をより客観的に捉え直す手助けとなり、新しい人間関係の築き方やコミュニケーションの方法を学ぶためのステップとして役立つでしょう。
刺激を強く求める
環境の変化に敏感な人は、その繊細な感受性が周りの状況や変動を先んじてキャッチする能力として働いています。その結果、彼らは変動する状況に対して早期に気づき、短期間で新しい環境や要件に適応する能力が高いと言えるでしょう。このような特質は、高度な感受性や洞察力を持っているためとも考えられ、多くの場面での対応力の高さが期待されます。
しかし、この敏感さは一枚岩ではありません。その感受性の裏側には、感情が深く、傷つきやすいという特性も潜んでいます。微細な変動や細かな出来事にも心が動かされ、それがストレスとして体に影響を及ぼすことがあるのです。これは、彼らが深く物事を考え、感じるため、心の中に多くの情報や感情が溜まりやすいからとも言えます。
特に活動的な人の場合、知的好奇心が非常に強く、未知の領域に対する探求心が旺盛です。彼らは新しいこと、新しい体験を追い求め、それが人生のエネルギー源となっています。その情熱は、彼らが興味を持った分野やテーマに対して深く探求し、知識や経験を積み上げる原動力となります。このような経験や学びは、彼らの自己成長や人間としての幅を広げるものとなります。しかし、その情熱の裏側には、過度なストレスや疲れが隠れていることもあるため、適切なバランスを取ることが大切です。
脳の再編成: トラウマからの回復
脳の再編成には、単なる一時的な対処法ではなく、持続的なアプローチが必要です。まず、トラウマによって引き起こされた過覚醒状態を鎮めるためのステップが重要です。具体的には、瞑想やヨガ、マインドフルネスのような技術を取り入れることで、自律神経系を整え、脳内で過剰に活性化された情動脳の反応を穏やかにすることができます。こうした取り組みによって、理性脳が再び感情をコントロールできる状態を取り戻すのです。
さらに、カウンセリングを通じて、トラウマ体験を安全な環境で言語化し、適切に再解釈することが求められます。感情を抑え込みすぎると、情動脳の活動はさらに強化され、体や心に持続的な負担をかけます。しかし、経験を分かち合い、心の傷を見つめ直すプロセスは、記憶と感情を徐々に統合するのに役立ちます。この統合は、脳の全体的なバランスを取り戻し、トラウマの影響が軽減される道筋を示します。
また、対人関係を築くことも、トラウマ回復の重要な要素です。他者とのつながりを通じて、自分が孤独ではないと感じられることが、脳の回復プロセスにおいて非常に有効です。社会的サポートは、脳の神経回路の修復を助けるだけでなく、トラウマによって損なわれた信頼感や安心感を再構築するための鍵となります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
公開 2021-02-14
論考 井上陽平